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GIFU UNIVERSITY OF 『麺』DICAL SCIENCE vol.6

私の名はO、高等教育機関の末端に身を置きながら、その実、麺類という名の小宇宙(コスモス)を渉猟することにのみ実存の証明を見出す、救いがたい麺狂いである。 ここは岐阜医療科学大学の学食、またその周辺で食することができる『麺』について、 アラフォーの私が極めて自分勝手に語っていくコーナーである。 今回は、可児キャンパス学食より、加法を乗法へと昇華せしめた禁断の一杯を紹介する。

どんな人間にも出会いと別れがあるように、ついに私も関キャンパスから可児キャンパスに部署異動となった。前任地での未練がましい引継ぎ、新天地での神経を摩耗させる不慣れな業務。目まぐるしいルーティーンの奔流に、私のニューロンは焼き切れんばかりであった。気づけば季節はもう6月。停滞する梅雨前線の重圧下、湿度は私の毛髪を執拗にいたぶり、それはあたかも茹ですぎたちぢれ麺の如き無残な様相を呈していた。そんな憂鬱な昼下がり、私は出会ったのだ。足し算を掛け算へと、あるいは物質を精神へと変容させる至高の一杯に。

 

 

『肉味噌キャベツの味噌ラーメン(麺2倍) 420円』

 

 

 

 

眼前に現れたのは、味噌ラーメンに肉味噌をぶち込むという、ある種暴力的で狂気じみたラーメンであった。これぞ味噌による、味噌のための、味噌の独裁政権。独我論的なまでの味噌の特権化である。当事者たる味噌自身とて、この過剰な自己増殖には驚愕を禁じ得ないだろう。独裁者の意向に染まり、肉味噌色にひれ伏したキャベツをはじめとする野菜の臣下たちと、その頂に君臨する深紅の糸唐子。オレンジと赤の見事なグラデーションは、あたかも夏至の夕映えの如き神々しさを放っている。私は、深淵を覗き込むのに似た緊張感と共に、箸という名の外科手術用メスを静かに挿入した。

 

 

 

 

「味噌のマキシマリズム」は、疲弊しきった私の延髄に強烈な一撃を見舞った。肉味噌とスープの連合軍を纏った麺と野菜は、甘辛のジャブを執拗に連打し、続けざまに味噌味のストレートを私の前頭葉へ叩き込む。

「うおお……」

喉の奥から、言葉以前の原始的な咆哮が漏れた。もはや私の肉体を構成する六十兆の細胞ひとつひとつが、個体識別を放棄して「味噌」という巨大な意思へ同化していく。これは単なる算術的な足し算ではない。味覚の核分裂、すなわち「味噌の掛け算」である。

 

 

 

 

味噌の国の永住者と化した野菜たちは、もはや全体主義的な法体系に従属しながらも、その内奥に秘めた個体としての誇り(出汁)を失ってはいない。彼らがいなければ、この味噌帝国の均衡は瞬時に崩壊し、政権は衆愚政治へと堕するだろう。肉味噌とスープを媒介する外交官としての野菜たち。その地味ながらも不可欠な官僚的働きが、食する者に一時の安寧をもたらすのだ。「君たちはまるで会社組織の中の優秀な中間管理職だなァ…」そう漏らしながら、私は味噌帝国を喰らった。

 

 

 

ごちそうさまでした。

 

最初から最後まで存分に味噌を摂取しきった私は、脳内において「味噌の国」への帰化申請書を、震える手で受理していた。恐るべき味噌の乗法。旨味のバブル経済は留まるところを知らず、ハイパー・インフレを引き起こしている。この「味噌のマキシマリズム」の洗礼を受け、私の全存在は味噌へと昇華を遂げてしまった。

 

マキシマリズムとは、「多ければ多いほど良い」を信条とし、削ぎ落とすことの対極にある過剰さの中に自己のアイデンティティを析出させる美学である。価値ある要素の集積、その掛け算こそが、やがて個人の幸福を絶対的なものへと押し上げる。

 

そう。これもまた、混迷を極める人生を謳歌するための「ミソ」なのだ。