その結果、血痕の一部は額を斬られた際に飛び散った血痕(飛沫血痕)、別の一部は傷を押さえた手に付着した血液が、床間の刀を取る際に飛散した血痕(キャストオフ血痕)で説明できる可能性が見えてきました。懸軸に残された血痕から、龍馬最期の動きを追った研究をご紹介します。
目次
血痕が教えてくれた“違和感”

私は普段から情報収集のためにジャンルを問わずよくYouTubeを見ます。ある日、「血染懸軸」に関する動画を見ていた時、直感的に違和感を覚えました。
国宝 「血染懸軸 正式名(梅椿画)(図1)」の下部に付着した血痕は、1867年に京都近江屋で坂本龍馬が襲撃者に刀で額を横一線に切られ殺害された際に付着したものであると言われています。
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(図1)重要文化財 血染懸軸(梅椿画) 京都国立博物館蔵
出典:ColBase(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)
暗殺時、龍馬は火鉢を囲み床間を背に座っており、床間に向かって左、龍馬の右手側に位置して懸軸は掛かっていたと伝承されています(図2)。
ところが懸軸の下部の血痕を観察すると、二種類の異なる特徴が見えてきました。一つは左下から右上に斜めに走る比較的小さい米粒大の方向性のある血痕。二つ目は左から右にやや並行に走る比較的大きな小指〜親指の先端ほどの方向性のある血痕。いずれにしろ龍馬の座っていた位置から額を刀で切られても付着しようがないと感じました。

(図2)近江屋見取り図
「本当に龍馬は、伝承どおりの位置にいたのだろうか―」
そんな疑問から、この謎を本学の臨床検査学科4年生の卒業研究として検証することにしました。
159年前の暗殺現場を再現してみた
この血痕はどのようにして付いたのでしょうか。
その謎を確かめるため、私たちは159年前の暗殺現場をできる限り再現することにしました。
まず近江屋はすでに取り壊されているので「維新史蹟図説」に掲載されていた当時の写真をもとに、AIで畳(京間)から壁の高さや床の幅について割り出して、懸軸の掛かっていたであろう高さや位置を推定しました。そして、懸軸が掛けられていたと考えられる位置に、実物と同じ大きさの画仙紙を設置しました。
龍馬の詳しい身長は正確には分かっていないため、似た身長の人を数人募り、あぐらをかいた状態での頭頂部や眉丘部の高さを平均して、額部に模擬血液バッグを装着した受傷者モデルを作製しました。
さらに龍馬を切ったとされる桂早之助の脇差(短めの日本刀)の寸法と同形状のものを用意しました。
さて問題は、龍馬が座っていた位置です。武士は畳の縁を踏むことは禁忌とされていたのでそこは避けられたと考えます。
実験では、龍馬が座っていた位置について3つの仮説を検証しました。
①伝承どおりの火鉢の真北側
②火鉢の北西側
③火鉢の真西側
①に着座していた場合、刀で額を切られた際に懸軸に飛沫血痕は付着しないと考えますが検証します。
懸軸に飛沫血痕が付着するためには、できるだけ西の壁側に着座しないといけません。暗殺当日、龍馬は風邪を引いていたということで、体調不良のため西の壁にもたれかかっていたかもしれないという仮説のもと、後の二つは ②火鉢の北西側と ③火鉢の真西側として3パターンの着座位置に受傷モデルを設置して実験を行いました。
刀を水平に振る刀速は平均57.6km/hで、それぞれの懸軸に付着した血痕は写真のようになりました(図3-5)。実際に刀を振り、飛び散る血液の様子を比較したところ、①には全く飛沫血痕は付着せず、②および③には梅椿画とおおむね同じ位置、同じ大きさの飛沫血痕が付着しました。
つまり、現在伝えられている龍馬の座る位置だけでは、懸軸の血痕を説明できない可能性が見えてきました。
大きな血痕はどうやって付いたのか?

ここで一つ新たな疑問が生まれました。
実験で再現できたのは、刀で額を切られたときに飛び散る小さな血痕です。
梅椿画の下部の左から右にやや並行に走る比較的大きな小指〜親指の先端ほどの方向性のある血痕はどういうメカニズムだろう?やや平行と申しましたが、若干軌道の変わっている血痕もわずかに混在します。
ここで私たちの研究室で以前検討したある条件の滴下血痕と形状がよく似ていることに気づきます。
補足として、飛沫血痕と滴下血痕の違いについて説明します。
飛沫血痕とは、出血源から勢いよく飛び散った血液や、凶器に付着した血液が二次的に飛び散ったものを指します。例をあげると、刀で額を切った際に刀に付着した血液が刀を振る動きによって飛散したタイプの血痕です。
滴下血痕とは、出血源からの血液が滴り落ちて付着したもの、あるいはその血液が二次的に付着した媒体(手など)から滴り落ちて付着したものを指します。この滴下血痕とよく似た形状で、血液の付着した手などを振り払った時に飛散する血液をキャストオフ血痕といいます。
以前の血痕の画像解析と比べてみても、梅椿画の下部の比較的大きな血痕は、キャストオフ血痕であると考えました。これは60cmほどの距離から左から右方向の動きで放たれた血痕形状と推察します。
伝承では、龍馬は床間にあった刀で鞘ごと襲撃者の刀を受け止めた際、頭部に致命傷を負ったとあります。そこで床間に置いてあった自らの刀を取りに行った際に付着したものではないかと考えました。
再び実験です。床間の刀を取りに行く動作でどのような滴下血痕が懸軸に付着するのか以下の2つの仮説をもとに検証しました。
①出血した額からの血液が飛散した血痕
②額を切られた際に反射的に手で額を庇った際に手に付着した血液が飛散した血痕
結果として、①の場合は、梅椿画と似たような血痕も混在しますが、額出血源からの飛散のため、血痕が大きく、形状が異なるものが主体となりました(図6)。②の場合は完全一致しました(図7)。
このことから、やや大きな血痕は傷口を押さえた手を振り払った際に付着した可能性が高いことが分かったのです。
血痕から見えてきた龍馬の死の間際の行動
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これらの実験によって「梅椿画」に付着した血痕は、龍馬が西の壁際に座っていた際に刀で切られた飛沫血痕に加え、襲撃者に額を切られた際、手で傷を庇った後、即座に床間の刀を取りに行った際にできたキャストオフ血痕である可能性があります。
懸軸の血痕を通して、龍馬の死の間際の動体が現代まで159年の月日を経て伝わってきたような気がしました。
最後にこのプロジェクトを行った臨床検査学科4年卒業研究生のAI合成写真で龍馬暗殺の舞台を締めさせていただきます。歴史と科学が交わることで、159年前の出来事が少しだけ身近に感じられるのではないでしょうか。
出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)、近江屋(高知県立坂本龍馬記念館)、『坂本龍馬全集 第4版』 813ページ、峯吉の回顧による 龍馬、慎太郎、健三郎、雑談時の配置、維新史蹟図説、画像解析による各種滴下血痕形状の考察、岐阜医療科学大学紀要、第16号:1-7


